プロ野球選手のその後9

(続き)

その道に進むと決めると、奥村選手は一直線です。予備校に通いつつ、ホテル、宅配、深夜のネットカフェなどでバイトを続けました。

そして、2007年には簿記検定1級に合格。

通っていた予備校の運営企業に入社することも決まりました。その会社は、資格取得のサポートをする企業で、その中には会計士になるプログラムもあったのです。働きながら勉強する環境を手に入れた奥村選手は、いよいよ会計士挑戦への道に踏み込んでいきました。

 

会計士の試験には、短答式の1次試験と論文式の2次試験があります。1次試験に合格すると、2次試験は1次試験を受けることなく、3回まで受けることができます。ここで3回続けて不合格になることを、その世界では、「三振」と呼び、奥村選手は、2011年に「三振」を喫した。

 

勤務先の会社は、資格を取るサポートをする会社で、会計士を目指しているのは奥村選手だけではありません。その中には合格した者ももちろんいます。会社主催で、合格者への祝賀会が開かれました。仕事として、祝賀会の運営に回った奥村選手は、さすがにその状況に耐えられませんでした。