2018年の甲子園!注目の選手、3人目は?

 

こんばんは\(^o^)/

最近、

甲子園球場で働いている友達ができました!!!

テンションあがりまくっております٩(ˊᗜˋ*)و

 

そんなこんなんで

今年の甲子園注目の選手、3人目は???

 

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そうです!

山口 航輝選手ですヽ( ´ ▽ ` )ノ

 

武器は何といっても

最速146㌔の威力ある直球♪

スライダーなど6種類の変化球をも織り交ぜます♪

 

そんな山口航輝選手のプロフィール☆

▪️身長:181cm

▪️体重:85kg

▪️出身:大阪府箕面市

 

小1から平野エンゼルスで野球を始め、加美中時代はナガセボーイズで投手♪

明桜高では1年夏から控えとしてベンチ入り♪

高校1年秋時点で最速140㌔に到達。2年春の秋田大会決勝で145㌔を計測しました♪

投打で牽引する2018年ドラフト候補♪

 

 

実力本格派な山口選手♪

目が離せません☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

 

 

 

2015年最優秀選手賞★山崎 康晃選手✨

今日は、2015年最優秀選手賞✨


山崎 康晃  選手(横浜DeNAベイスターズ

を紹介します♪



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ウィキペディアより♪


まずは基本情報♪


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国籍    日本

出身地    東京都荒川区

生年月日    1992年10月2日(25歳)

身長    178 cm

体重    85 kg



選手情報

投球・打席    右投右打

ポジション    投手

プロ入り    2014年 ドラフト1位

初出場    2015年3月28日

年俸    1億5,000万円(2018年)



入団1年目から大活躍\(^o^)/

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DeNAでは、入団1年目の2015年から、おおむねクローザーとして登板。

入団3年目の2017年に

「新人投手としての入団1年目から3年連続一軍公式戦シーズン20セーブ」

というNPB史上初の記録を樹立したほか、佐々木主浩が前身球団・横浜ベイスターズMLBシアトル・マリナーズのクローザーだった時期に付けられた愛称(大魔神)にちなんで、「小さな大魔神」と呼ばれている。




2015年には、オープン戦で中継ぎ要員として結果を残した。さらに、前年に新人ながらクローザーを務めた三上朋也が故障したため、公式戦の開幕直前に一軍監督の中畑清からクローザーに急遽任命。

3月28日に開幕カードの読売ジャイアンツ(巨人)戦でプロ初登板を果たすと、3月31日の対広島東洋カープ戦(横浜スタジアム)でプロ初セーブを記録した。

4月22日の対阪神タイガース戦から5月8日の対巨人戦にかけて、9試合連続セーブ(NPBの新人投手による一軍公式戦記録)を達成。

5月には、月間10セーブのNPB新人投手記録を樹立するとともに、22日の対阪神戦(いずれも横浜)でチームのサヨナラ勝利によってプロ初勝利を挙げた。このような活躍を背景に、オールスターゲームにも、セントラル・リーグセ・リーグ)抑え投手部門のファン投票1位で出場。

7月17日の第1戦(東京ドーム)では、セ・リーグ選抜のクローザー(5番手投手)として初登板を果たした。

後半戦に三上が一軍へ復帰した後も、クローザーとしてセーブを量産。

8月20日の対東京ヤクルトスワローズ戦では、シーズン2度目の8試合連続セーブを達成するとともに、一軍公式戦シーズン32セーブのNPB新人投手記録を樹立した。

9月4日の対巨人戦(いずれも横浜)でプロ入り後初の救援失敗を経験するが、シーズン通算では2勝4敗37セーブ7ホールド、防御率1.92を記録。

その結果、セ・リーグの新人王に選ばれた。DeNA選手の新人王獲得は初めての事例で、前身球団を含めれば、横浜ベイスターズ時代(2000年)の金城龍彦(入団2年目の内野手)以来15年振り。新人選手および投手からの選出は、大洋ホエールズ時代(1977年)の斉藤明雄以来38年振りであった。



プロ入り後は、母にウイニングボールをプレゼントするのが定番となっているという、

人柄もすごく素敵な山崎選手です(≧∀≦)





2018年の甲子園!注目の選手、2人目は?

 

こんにちは\(^o^)/

 

またまたやってまいりました!

今年の甲子園の注目の選手(≧∇≦)

 

2人目は。。。

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この選手!

そうです!

中澤 樹希也選手です!!!

 

青森山田の『きんに君』と呼ばれているそうです٩(ˊᗜˋ*)و

 

趣味がトレーニング、という、筋トレマニア♪

 

そんな中澤樹希也選手のプロフィール☆

▪️身長:170cm

▪️体重:78kg

▪️出身:青森県弘前市

 

ガッチリした体格の小柄な外野手です♪

ベンチプレス105キロ、スクワット145キロ、デッドリフト200キロのパワーが売り物みたい♪

 

 

相馬小学校2年の時から硬式野球を始め、青森山田中では青森山田シニアに所属。
中2春、3年夏に全国大会ベスト8入りを経験しました♪

青森山田では1年秋からベンチ入り♪

2年、甲子園で2試合3本塁打の打棒を披露し、プロスカウトからも注目される存在に浮上しました♪

 

今年の甲子園が待ち遠しいです☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆

神様、仏様、稲尾様☆

一昔前のよき選手にも注目。

 

 

三原監督の、稲尾選手への信頼に

感動です(*^^*)

 

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1957年、史上最年少でのリーグMVPに選出といったら、この人。

 

1958年には33勝で史上初の2年連続MVPを獲得したそうです♪

 

読売ジャイアンツと対戦した日本シリーズ

3連敗と追い込まれた中、降雨による順延で中一日をはさんだ第4戦、三原監督は稲尾を三度目の先発投手に起用してシリーズ初勝利しました!

 

第5戦でも稲尾は4回表からリリーフ登板すると、シリーズ史上初となるサヨナラ本塁打を自らのバットで放ち勝利投手に!

 

そして舞台を再び後楽園球場に移しての第6・7戦では、2日連続での完投勝利で、西鉄が逆転日本一を成し遂げました。

 

稲尾は7試合中6試合に登板し、第3戦以降は5連投。うち5試合に先発し4完投。優勝時の地元新聞には「神様、仏様、稲尾様」の見出しが踊りました!

 

稲尾選手の影響力は、

なんと本多猪四郎監督による映画「鉄腕投手 稲尾物語」が製作され、全国上映されているほどです( ̄^ ̄)ゞ

2015年最優秀選手賞★柳田 悠岐選手✨


今日は、2015年最優秀選手賞✨


柳田 悠岐 選手(福岡ソフトバンクホークス

を紹介します♪


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ウィキペディアより♪


まずは基本情報♪


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国籍    日本

出身地    広島県広島市安佐南区

生年月日    1988年10月9日(29歳)

身長    188 cm

体重    93 kg



選手情報

投球・打席    右投左打

ポジション    外野手(主に中堅手

プロ入り    2010年 ドラフト2巡目

初出場    2011年5月8日

年俸    5億5,000万円+出来高(2018年)※2018年より3年契約



常に高みを目指して努力している方というのが、色々なエピソードからもわかります(*^▽^*)


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2015年、開幕前の2月16日に「GLOBAL BASEBALL MATCH 2015 侍ジャパン 対 欧州代表」の日本代表に選出された。3月10日の第1戦に「1番 右翼手」で先発出場し、3月11日の第2戦では「3番 右翼手」で先発出場した。


レギューラーシーズンでは9月8日、日本ハム戦で自身初の1シーズン30本塁打を達成[69]。9月15日、オリックス戦で2年連続の1シーズン30盗塁を達成。

9月26日の対ロッテ戦でイ・デウンから死球を受け、翌日からシーズン終了までスタメンを外れるも、

「打率.363、34本塁打、32盗塁、99打点、出塁率.469」の好成績を記録。

自身初の首位打者のタイトルの獲得、12球団トップのOPS(1.101)及びRC27(11.39)、そしてプロ野球史上10人目(球団では初)のトリプルスリーの達成という、「桁違いの活躍」「記録ずくめ」の年となった。

またこの年は、東京ヤクルトスワローズ山田哲人もトリプルスリー(※)を達成し、1950年に岩本義行別当薫が達成して以来、65年ぶりに2人のトリプルスリー達成者が生まれた。


※トリプルスリー (Triple three) は、プロ野球において打者が同一シーズンに「打率3割・30本塁打・30盗塁」以上の成績を記録することである。



10月9日に第1回WBSCプレミア12の日本代表最終ロースター28名に選出されたが、上記の9月26日に受けた死球は左膝付近を直撃しており、11月2日に左大腿骨内顆部骨挫傷で日本代表を辞退することを発表した。

11月25日にはチームを日本シリーズに導いた点やトリプルスリーを達成した点などが評価され、パ・リーグのMVPに選出された。受賞の挨拶では「チームが2連覇したので、3連覇したいと思う」と翌年に向けての意気込みを語った。


12月25日、福岡ヤフオク!ドーム内の球団事務所で契約更改交渉に臨み、今季の推定年俸約9,000万円から一気に3倍増の約2億7,000万円で更改した。



ものすごい、記録を作っているんですね

☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆


今後もさらなる記録更新が楽しみです✨


2016年最優秀選手賞★新井 貴浩選手✨

今日は、2016年最優秀選手賞✨


新井 貴浩  選手(広島東洋カープ

を紹介します♪


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ウィキペディアより♪


まずは基本情報♪


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国籍    日本

出身地    広島県広島市中区江波

生年月日    1977年1月30日(41歳)

身長     189 cm

体重    102 kg



選手情報

投球・打席    右投右打

ポジション    一塁手三塁手

プロ入り    1998年 ドラフト6位

初出場    1999年4月3日

年俸    1億1,000万円+出来高(2018年)



この方の経歴を見ると、良い時もあれば、

うまくいかない時期もあって、

でもずっと前向いて努力してきたんだな〜って思いました(●´ω`●)

2016年のMVPも、セ・リーグ史上最年長記録で、継続してきた努力が、実ったんですね✨


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2016年は、4月26日に対東京ヤクルト3回戦(明治神宮野球場)の第二打席、ヤクルト先発の成瀬善久からレフト線への適時二塁打を放ち、47人目の2000本安打を達成。

続いて8月2日には、史上42人目の300本塁打と立て続けに大記録を達成。

その後も連続出場による疲労を回避するため、先発を外れたり、試合終盤にベンチに下がるなどの配慮を受けながらも、シーズンを通して4番に座り、シーズン終盤まで打点王に立つなど好調を維持。チームの快進撃の原動力となった。

そしてチームは優勝マジックを1とした9月10日の巨人戦(東京ドーム)で逆転勝ちし、25年ぶりのリーグ優勝を果たす。試合終了直後に監督の緒方孝市、この年限りで引退し背番号が永久欠番にもなった黒田博樹と共にチームメイトから胴上げをされた。

チームはクライマックス・シリーズも優勝し、広島所属としては初めて日本シリーズにも進出。日本一はならなかったが、プロ18年目にして初めて歓喜の美酒を味わった。

個人としては打点王はリーグ優勝決定後に休養とポストシーズンへの調整のために出場機会を少なくした影響で9月下旬に筒香嘉智にその座を譲り2011年以来の栄冠はならなかったものの、

主要6部門は全て6年ぶりの打率.300(自己3位)、19本塁打(同5位)、100打点(同4位)、出塁率.370(同2位)、長打率.480(同3位)、OPS.850(同3位)の大台を達成する全盛期並みの成績を残し、本塁打王を獲得した2005年以来自身2度目のベストナインを受賞。2015年に9年ぶりに同賞を受賞した福留孝介を抜くセ・リーグ史上最長ブランクでの受賞となった。

さらに同賞の表彰のため出席した11月28日のNPB AWARDS 2016にて、その年のリーグの最高栄誉であるリーグMVPの受賞が発表・表彰された。

39歳での同賞の受賞は、2010年に38歳で受賞した和田一浩の記録を塗り替え、同賞受賞のセ・リーグ史上最年長記録を樹立した。

史上初めて2000安打・300本塁打・リーグ優勝・リーグMVPを同時に達成した、本人曰く「夢のようなシーズン」となった。


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2007年12月11日付で、NPBからFA宣言選手契約締結合意が公示された。


新井の自著『阪神の四番』によれば、移籍の最大の理由は「もう一度金本と一緒に野球がしたい」という金本移籍以来抱えていた強い思いであったが、それを口にすれば金本本人に迷惑が及ぶとして会見では自重した。また、「FAなんて……」という発言は「FAがなければ金本が出て行くことはなかったし、金本がいれば自分も移籍を考えることはなかった」という思いから自然と口に出てしまったものであった。翌年1月2日に放送された広島ホームテレビの特別番組では「僕のことを野次るファンよりも僕の方がカープを愛してる」と語り、広島への愛着と未練を覗かせた。阪神に移籍した後も「今でもやっぱりカープの試合は気になる」と古巣への愛着を口にしていた。

ウィキペディアより♪


広島→阪神→広島と、移籍。

ただ、ものすごい、広島への想いがある方なのだとわかり、後半の記述を読み一気に好きになりました〜〜☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆


3つのポジションでベストナイン受賞、真弓選手。

背番号7といったら、この人のイメージ。

 

真弓 明信氏。

 

 

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阪神タイガース時代について一部紹介します♪

 

 

1979年から、一番・遊撃手として定着。

 

長打力のある一番打者として活躍し、同年5月20日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤ球場)ではサイクル安打を達成!

 

この試合では自身2本目の初回先頭打者本塁打を放っています。さらに同年は125試合に出場し、自身初の二桁本塁打となる13本塁打を放ちました。

 

1980年は一番打者ながらセ・リーグ5位タイの29本塁打を放ち、10月12日には対中日戦ダブルヘッダー(ナゴヤ)でダブルヘッダー2試合連続初回先頭打者本塁打を達成!

 

1981年は打率.293で、初の打撃ベストテン入り(10位)を果たしました。

 

1983年には二塁手に転向し、打率.353で首位打者を獲得。二塁手ベストナインにも選出されました。

残り10試合になった際に、首位打者のタイトルのために安藤統男監督から欠場を勧められるが、これを断固拒否し試合に出場!

 

1984年も二塁手として、通算1,000試合出場と通算1,000安打を達成しています。

 

 

1985年には外野手(主に右翼手)に転向。

途中、左肋骨不全骨折で1か月弱戦線を離脱するものの、一番打者として打率.322, 34本塁打、84打点の好成績でチームのリーグ優勝・日本一に貢献し、外野手のベストナインにも選出されました。

 

この受賞で、クラウン時代と合わせて、3つのポジションでベストナインを受賞しています。

 

3ポジションでのベストナイン受賞は落合博満に続き史上2人目。

日本シリーズでは、打率.360, 2本塁打で優秀選手に選ばれました。

 

 

意志の強い選手で、とても憧れます(^з^)-☆