プロ野球選手のその後4

(続き)

岐阜県土岐商業高校の3年生だった1997年、阪神タイガースからドラフト6位で指名を受けました。

「同期の井川慶のボールが、いきなり衝撃的だった」と、当時をそう振り返ります。奥村選手が助走をつけて全力で投げてやっと届く距離を、井川選手は軽く投げ返してきたのです。

のちに阪神タイガースの大エースになる同期のプレーを目の当たりにし、早速プロのレベルを思い知ることになったのです。

早くその基準に追いつこうと、無我夢中で1年目を過ごし、トレーニングにトレーニングを重ねました。その努力の負荷と努力の量は尋常ではなかったと容易に想像できます。

しかし、その無理がたたってしまったのか、そのオフに右肘を手術することになってしまいました。2年目のほとんどをリハビリに費やしてしまうことになりましたが、秋季キャンプでは翌年から就任する野村監督の目に留まりました。

「小山二世」と称され、3年目の1月には強化指定選手に指名され、オープン戦では1軍に帯同することになったのです。