プロ野球選手のその後7

(続き)

もともと、奥村選手は真面目な性格です。バーで働くなら調理師免許をもっておいたほうがよいと思い、調理師学校に通い始めたのです。

調理師免許を取るために、所有していた車を売却し、契約金も使いながら、学校に通いました。朝までバーで働き、そのまま学校へ行って勉強し、夕方からまた朝までバーで働く・・という生活を続けていました。

体力的にも経済的にも苦しい中、街は阪神の快進撃に沸き返っていました。2003年といえば、2位に14・5ゲーム差をつける圧倒的な強さで優勝した年です。大阪で生活していると嫌でも入ってくる阪神タイガースの情報が、野球から距離を置こうとしている奥村選手を苦しめていたのです。

 

そのうち、「自分の選んだ道は正しいのか、日に日に焦燥感が募った」と思うようになり、最終的にはバーをやめてしまいました。

調理師の勉強をしていたので、大阪の帝国ホテルの調理場でアルバイトとして働き始めました。その後、一緒にバーを開業した友人は、病に倒れてしまい、帰らぬ人となりました。