日本の野球の歴史③

チームができたのは、そう遅くない時期であった。


1878年、平岡ひろしが日本初の本格的野球チーム「新橋アスレチック倶楽部」を設立し、1882年駒場農学校と日本初の対抗戦を行った。なお記録上で日本ではじめて国際試合を行ったのは青井鉞男が投手時代の旧制一高ベースボール部で、1896年(明治29年)5月23日、横浜外人居留地運動場で横浜外人クラブと対戦し29対4で大勝した。

 

また、記録上で日本ではじめて米国人チームと試合を行った(日米野球)のも同部で、同年6月5日、雪辱戦として横浜外人クラブから試合を申し込まれ、横浜外人居留地運動場で
当時の米国東洋艦隊の選りすぐりによるオール米国人チームと対戦し32対9で連勝した。

 

急速な人気の高まりから、野球に対して賛否両論が巻き起こることもあった。

 

1911年に東京朝日新聞が「野球と其害毒」と題した記事を連載し、
野球に批判的な著名人の談話などを紹介したが、これに対して読売新聞などが野球擁護の論陣を張り、
次第に野球に対するネガティブ・キャンペーンは沈静化していった。


時勢の流れは複雑になっていた当時。そこから日本の野球が発展していく!
今では考えられない!!

 

 

読売新聞は今でも読売巨人軍のバックボーンであり、ここからでも球団経営に意欲があったことがわかる